老老介護の現実と在宅支援の課題について考える
- 諒 加藤
- 5月12日
- 読了時間: 3分
先日、東洋経済オンラインに掲載された「限界に達した老老介護、70代夫が認知症の妻を支える現実」という記事がX(旧Twitter)で大きな話題を呼び、多くの共感と不安の声が広がりました。記事では、70代の男性が認知症の妻を在宅で介護する様子が紹介され、日々の介護に追われ疲弊していく姿が切実に描かれていました。
高齢化が進む中で、65歳以上の高齢者が配偶者や兄弟姉妹などを介護する「老老介護」は、すでに珍しいものではありません。しかし、今回の投稿がこれほどまでに多くの人に拡散された背景には、もはや誰にとっても他人事ではなくなりつつあるという、社会全体の危機感があると私は感じます。
老老介護という「共倒れのリスク」
記事の反応では、「自分の親も同じ状況だ」「自分自身が将来こうなるのではないかと不安」という声が非常に多く見られました。それだけ、老老介護は身近な問題になってきているということです。
現場で訪問看護に関わっている私の実感としても、「高齢の介護者が限界を迎えて初めてサービス導入を検討する」ケースが少なくありません。介護保険サービスの存在を知っていても、「まだ自分たちだけで頑張れる」と、遠慮や自責の念から相談をためらう高齢者世帯も多いのが現実です。
結果的に、要介護者の状態が悪化するだけでなく、介護者自身の健康をも害し、共倒れに近づいてしまう──。これは避けるべき事態であり、社会的にも大きな損失です。
介護サービスが“届かない”壁とは
介護保険制度には、本来多くの支援メニューがあります。訪問介護、訪問看護、デイサービス、短期入所など、在宅での暮らしを支える仕組みは揃っています。
しかし、制度があっても、利用に至るまでの「心理的ハードル」や「情報格差」が大きな障壁となっています。
現場でよく聞くのは、「自分が倒れるまでは家のことは任せたくない」「人に頼ることは恥ずかしい」という声です。また、自治体や包括支援センターなどの窓口があっても、そこへアクセスする段階でつまずいてしまう方も少なくありません。
私は、制度の「整備」だけでなく、それを「届ける力」がもっと問われる時代になってきていると感じています。
現場として伝えたいこと:介護者支援の優先順位を上げてほしい
在宅ケアの現場にいる者として、改めて伝えたいのは、「介護者の支援こそ最優先に考えるべきだ」ということです。
日本の介護は、要介護者の心身状態ばかりに焦点が当たってしまいがちですが、支える側の体力・気力・生活の基盤が崩れてしまっては、支援は成り立ちません。
現在、厚生労働省でも「ヤングケアラー」や「8050問題」への対応が進められていますが、「老老介護」もまた、個人の努力だけに委ねるには限界があります。福祉制度や地域資源を、「本人ではなく家族が申請する」構造になっている点にも、制度上の見直しが必要ではないかと私は思います。
結びに:一人で抱え込まない社会へ
この記事をご覧になっている方の中には、「もしかしたらうちも当てはまるかもしれない」と感じた方もいるかもしれません。あるいは、ご両親の介護に関わる中で、同じような不安を抱えている方もいらっしゃるでしょう。
私は、在宅介護という選択肢を持つことは素晴らしいことだと思っています。ですが、それを「孤独な努力」にしてはいけないとも強く感じます。
福祉制度や地域の支援を、もっと気軽に・自然に利用できる社会へ。制度が“ある”こと以上に、“届く”ことを大切にする政策や仕組みが必要だと思います。
介護は「ひとりで頑張るもの」ではなく、「社会全体で支えるもの」。これからの日本には、そうした価値観の共有がますます求められていると感じます。
ぜひ皆さんも、この問題について、一緒に考えていただけたら嬉しく思います。
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